ニトリ、似鳥昭雄会長のたったひとつの想い

ニトリはご存知、低価格家具の製造販売で全国に展開している家具メーカーだ。
スタートは札幌。
私は札幌出身。ニトリが家の近所にどでかい店舗をオープンさせた時のことをよく覚えている。
お店の一番高いところに、今のロゴと変わらない、ニオリというカタカナが踊り、どこからも読みやすい見やすい名前だったので、北海道人の中では、家具屋=ニトリ、が定着してしまっていた。

その後私は北海道から東京へ。ニトリが東京に進出し、びっくりした記憶がある。ニトリって北海道だけじゃなかったんだ。

それから約30年。
ニトリはいまや全国で知らない人がいないほどに成長した。30年増収増益。信じられない展開力だ。
その陰にはもちろん、売れない頃からの社長の地道な努力があった。

販売戦略の中で、ひとつの大きな転機になったできごとがあった。
当時、近隣に競合他社が進出し、ニトリがピンチに陥った時、彼は思い切ってアメリカ視察に行った。

1970年代初頭のことだった。

彼はアメリカの豊かさに衝撃を受けたのだ。

この豊かさを日本で実現したい。

その時、強く思ったそうだ。

それが彼のビジネスの原動力となった。

ニトリは、当時のアメリカ視察で彼が得た、トータルコーディネート、ホームファニシングとうコンセプトを日本で初めて実現した家具屋でもある。


似鳥昭雄(にたとりあきお)さんってこんな人

生年月日 1944年3月5日
出身 樺太(からふと)→札幌
学歴 北海道工業高校→札幌短期大学→北海学園大学経済学部
1967年 札幌市に似鳥家具店一号店を開店させる。
その時の店名は、ニトリ家具卸センター 北支店だった。
おろし、と言えば安いイメージ。また支店とすることで、小さくても違和感がない、というのが理由。

当時は一人で営業、接客をやっていたがご本には接客が大の苦手。

1968年、結婚後、奥さんに接客を任せ、本人は商品の仕入れや開発に専念するようになる。それが面白くなり、オリジナル家具のデザインや製造に発展していく。

2008年から、Jリーグコンサドーレ札幌のメインスポンサーとなる。
好物はセブンイレブンのおでん。庶民的だ。
普段は東京の自宅にて単身赴任の身。

ちなみにお子様は二人。娘さんはニトリ勤務。息子さんは印刷メーカー勤務。自社で働かせてしまうと派閥ができるからという理由で息子さんはニトリで勤務していない。

2016年2月から社長は白井俊之さんとなり、ニトリ社長は会長となった。

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