デヴィスカルノさんの、美と健康を保つための生き方

デヴィスカルノさんは今でこそ日本のタレントとしてテレビで活躍しているが、元インドネシア大統領スカルノ氏の第三婦人としてインドネシアで暮らしていた人だ。

彼女は壮絶な人生を歩んでいる。
中学卒業の時、母親が同級生の親から、高校進学のお金を借りようとしていることを知り、入学を断念する。
そして、難関を乗り越えて保険会社に入社し、夜間の定時制高校に通い、さらにアルバイトもする。三足、四足の草鞋を履いて10代を過ごした。

彼女はあるレストランでスカルノ大統領と出会い、それがきっかけで結婚に至る。
彼女が結婚するに至ったエピソードをある番組で話してくれた。

ドライブをしていた時に、子供達を発見する。
すると彼は車を停め、外に出て、近くにあった大きな岩に算数の足し算をかきだし、教えだしたのだ。
この行動に彼女は驚いた。

また、スカルノ氏自身も小さい時は貧しかったのだということを知る。
「母がいっぷくのお塩をなめてコップで水を飲む。それが一日の食事だった。」

その話を聞いて彼女はこう思う。

この人は大統領であって、同じ人間なんだと思ったんです。その時に初めてバリケードがとれた感じがしたんです。

その後彼女はこのようなプロポーズを受ける。
「please be my inspiration
be my strength,
be joyof my life」

「私のインスピレーションになってほしい、
私のパワーの源になってほしい、
私の人生を彩ってほしい。」

100年生きてもこんな美しいプロポーズは聞けないんじゃないかと思った

彼女は、その後インドネシアでクーデータを経験する。
さらに若くして母の死や弟の死。数々の苦難や大変な経験をする。

今ではタレントとして活躍しているが、テレビ番組を通じて彼女は高齢なのにもかかわらず、社交ダンスや運動、サーカスの空中ブランコなど、色々なことに挑戦している。

若さを保つには何かに挑戦するという気持ちをなくしてしまうことが年を取ることじゃないかなと思って。

やったことのないことをして
喜んでいる、新しい自分を発見することができる人が
いつまでも若いと思います

彼女が大好きな曲がある。
それは、モーリス・ラヴェルのボレロ。聴いたことのある人も多いと思う。
これを聞くと、彼女はとても奮い立つ、元気になると言う。

あたくしは逆境に置かれればおかれるほど奮い立つほうなので。

人生は戦いだと思っているんです。
私は戦場の一戦士。
誰でもそうだと思うんですよ。

そこにどっかと座っていてはいけないと思うんですよ。

彼女の若さの秘訣はまさしくこういった考え方かもしれない。

人生を戦場だと捉え、ひとつの場所にとどまっていては敵にやられてしまう。

そこにとどまっていてはいけない。だから色々なことに挑戦する。

彼女の人生はそのようにして進んでいくのだろう。

デヴィスカルノさんはこんな人

本名 ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
旧姓 根本七保子
生年月日 1940年2月8日
出身 東京都港区西麻布
学歴 東京都立三田高等学校定時制部 中退

戦時中に生まれたデヴィ婦人。
父は大工さんで、家はとても貧しかったという。
疎開先で彼女は当時4歳、母と小さな弟と三人で福島に疎開していた。
爆撃が起きるとみんなは防空壕に避難するのだが、母は当時おそらく1歳か2歳の弟をかかえ、4歳の彼女とともに防空壕の一番最後に滑り込む。
避難が終わって防空壕から出てきた三人を、男性たちは猛烈に批判する。つまり、隠れるのが遅いということで、だ。
一人の男性が母親を殴ろうとしたとき必死で守ろうと彼女は抵抗する。

こんな苦しい時期を経験してきた彼女だった。

中学卒業時、高校の学費が払えず、母が同級生の友人にお金を借りようとしていたことを物陰から見ていた彼女は、
これほどまでしてお金を借りなければいけないのか、と心苦しく、高校進学を断念。
その後150倍もの難関を乗り越えて千代田生命に入社。

それでも給料が少なく、家計を支えられないと知った彼女は、夜は定時制高校に通い、お昼休みは近くの喫茶店でバイト、週末も喫茶店でバイトの毎日を送ったそうだ。

スカルノ大統領が見初めたのは、彼女が友人と映画に行こうと待ち合わせしていた帝国ホテルの喫茶店プルニエ。

そこにたまたま居合わせた大踏力から使いを通じてお茶にいらっしゃいませんか?というのがきっかけだった。
その後彼女はインドネシアに渡り、求婚されて第三婦人となる。

結婚3年後インドネシアの大規模クーデターにより大統領は失脚。ご本人はインドネシアの日本領事館に助けを求めるも、当時の情勢や立場から断念、フランスに渡った。

彼女は現在インドネシア国籍である。

1962年頃母親は執拗なマスコミの攻撃で体調を崩し亡くなる、その二日後に、全財産をセールスマンに奪い取られた弟も自殺してしまう。
守るものがなくなった婦人は、日本国籍である必要がなくなった、ということで国籍をインドネシア国籍に変えた。

様々な体験、困難を乗り越え、現在のデヴィ婦人がいる。今回彼女のことを色々と調べてわかった私は、彼女を見る目が変わった。
美しく力強く、いつまでも健康なライフスタイルを貫いてほしい。

デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨
ラトナ サリ デヴィ・スカルノ
草思社

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です