二代目松本白鸚(まつもとはくおう)さんの美学

松本白鴎さんは、歌舞伎役者である。歌舞伎の世界では名前を襲名していくので、九代目松本幸四郎さんとしての名前のほうが世間には知れ渡ってるだろう。2018年1月に松本幸四郎改め、松本白鸚(まつもとはくおう)を襲名した。

いままでの松本幸四郎の名前は息子が襲名した。

白鷗さんの奥さんになられた方は、お医者様の娘さん。彼はユ―モアに富んだこんな面白いことを言っている。

僕は彼女から常識を学び
私は彼女に非常識を教えた

彼の仕事は歌舞伎役者。他の一般的な家庭とは相当異なっている。奥様は歌舞伎をまったく知らないで嫁いできたのだ。それはそれは苦労が多かったのだろう。

白鸚さんは歌舞伎だけでなく、なんといてもミュージカル、ラマンチャの男の主役を長い間演じ続けていることでも有名だ。
すでに公演回数は1200回を超えている。また数々の賞も受賞している。

彼はダンスについて、そして歌についてこのようなことを言っている。

最高の踊りとは
きれいなだけでも、
うまい踊りでも
見ている人がおもわず踊りだしたくなる踊りが最高の踊りというものだ。

最高の歌は
うまい歌でも
美声なだけでもない
おもわず歌いなくなるような歌が最高の歌なのだ。

「俳優も人間、つらいこと悲しいこともあります。
俳優である以上、悲しみを希望ん、苦しみを勇気に変えてそしてご覧になっているお客様にもそういう気持ちになっていただいて、といつも思っています。」

彼がこのような境地になったのは、奈良東大寺の大仏の前で講演を行った時、その大仏様の声が聞こえたような気がしたと言う。

それはこんな言葉だったそうだ。

人に勇気や希望を与えるのはなかなかできることではない。

ましてや感動を与えることもそうそうできることではない。

なかなかできないことをおまえは商売にしているんだぞ、

心して励め。

どんな演者を演じている時でも、お客様に感動を与える。そういう気持ちで日々精進しているのだ。

二代目松本白鸚(まつもとはくおう)さんってこんな人

生年月日 2045年8月19日
出身 東京都
学歴  常盤松小学校→暁星学園に小3で編入

1942年8月、五代目市川染五郎(初代松本白鸚)の長男として東京に生まれた。早くも、3歳であった1946年(昭和21年)5月には東京劇場『助六』の外郎売の伜で二代目松本金太郎を襲名して初舞台を踏んだ。

1949年(昭和24年)、東京劇場『ひらかな盛衰記・逆櫓』の遠見の樋口で六代目市川染五郎を襲名した。

歌舞伎ではお家の高麗屋の芸を継承、

現代劇やミュージカルでの活躍。特にはニューヨーク・ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』の主役を、ロンドン・ウエストエンドで『王様と私』の主役をそれぞれ英語で行っている。

2008年に『ラ・マンチャの男』の上演が通算1100回達成
一つの作品を同じ俳優が単独主演するミュージカルの日本国内最多上演記録を更新した。

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