加藤条治さんの、メダルにこだわる想い

加藤条治さんはスピードスケート選手である。

オリンピックで金メダルを取ることにとてもこだわりがある人だ。その目標があるから、30歳を超えて怪我をしても乗り越えてこれたのだ。

彼は2005年、24歳で世界新記録を出した人だ。天才的なコーナリングで世界を魅了した。

2006年のトリノオリンピックでは金メダルが期待されながらも6位に終わってしまった。
2010年のバンクーバーオリンピックでは銅メダルを取得。
ところがまったく満足していなかった。とても悔しい想いしか残らなかったのだ。

そして次のソチオリンピック。この時は5位だった。
3度の挑戦でも金メダルは取れなかった。メダルを取っても、世界のトップ5になっていてもまったく満足はしていなかった。

「何年も同じことを繰り返して、その集大成としてオリンピックに臨んで、結果が出なかった。これをそのまま次まで続けても、たいして変わらないんじゃないか、と思った。」

そのために彼は、視野を広げたり、モノの見方が変わることによって、またもしかしたら変わるんじゃないかと、身分が勝てるチャンスがあるかもしれない、そんな想いでまったく違う分野でのトレーニング、たとえば室伏選手がかつて行っていたトレーニング法を取りれたりもした。

そして、自分をみつめなおす新たなスタートを切ろうとしていたのだ。

しかし、そんな矢先、膝を痛めてしまった。正式な病名は大腿四頭筋健炎
(だいたいしとうきんけんえん)。

しかし、彼はこのまま途中では終わらせたくない、と思い、必死のリハビリを1年間行った。

すでに彼は世界トップクラスの大会での優勝経験もある。それでもなお、金メダルにこだわりを持っていた。

「もうできるならボロボロになるまでやりたい。」そんなことさえも口にしていた。

そして、リハビリのことを振り返って彼はこう言う。

弱い部分を鍛え直すチャンスがあってよかった

怪我をしたことを、こう前向きに捉えていたのだ。

12月の代表選手権に合わせてトレーニングをして、今まで以上に膝のケア、体のケアを行った。

彼はリハビリで満足な練習ができなくても、きわめて明るかった。
照準はオリンピックだったから、それを考えれば、時間的にはまだ余裕がる、ということだったのだ。

「オリンピックに合わせることを考えれば(今、満足な練習ができていなくても)全然間に合います。」

その顔は充実感に満ちた顔をしていたのだ。

代表選考会の直前の大会で彼はとても良い成績を出した。リハビリ時代の苦しかった時のことを思い出して加藤条治選手はこう言っている。

大変なこともありましたが
自分の中の個性のひとつとして受けいれられたので、苦しかったけれけど楽しかったです。
そうやって(膝と)一緒に歩んできたので、
なんとか膝にがんばってもらいたいと思います。

その言葉にはとてもチカラがあった。
そして、その後の選考会にて、3枠しかない代表選手に見事に選ばれるのである。加藤条治選手、32歳の冬(2017年12月)のことだった。オリンピック出場の際には33歳となっている。

オリンピックではいったいどんな滑りを見せてくれるのだろう。
たとえメダルを逃したとしても、その頑張りに最大限の敬意を払いたい。そしてエールを送りたい。

加藤条治(かとうじょうじ)さんってこんな人

生年月日 1985年2月6日
出身 山形県山形市
学歴 山形市立滝山小学校→山形市立第六中学校→山形中央高校
所属 一般財団法人 博慈会

四人兄弟の末っ子として生まれた。兄たちの影響でショートトラックからスケートを始め、その後スピードスケートに転向した。

高校時代、インターハイ男子500mで三連覇を達成。日本人選手として史上初めて高校3年時にスピードスケート・ワールドカップ(W杯)代表に選ばれ、2002年12月に初出場した長野大会で3位入賞。

2003年1月のソルトレイクシティ大会で34秒88の世界ジュニア新記録を樹立し、同年に34秒75まで更新。高校生ながらデビュー以来W杯の表彰台に上がり続け、卒業後は三協精機へ入社。

2005年3月にドイツ・インツェルで行われた世界距離別選手権 優勝

2005年11月、アメリカ・ソルトレイクシティのユタ・オリンピックオーバルのW杯で34秒30の男子500m世界新記録(当時)をマークし、W杯自身初優勝

しかし、過去3回(トリノ、バンクーバー、ソチ)のオリンピックではまだ金メダルはない。今回4回目のオリンピックにて金メダルを狙う。

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