室伏広治さんの、チカラ

室伏広治さんは長期間現役生活を続けていたトップアスリートである。
ハンマー界だけでなく、日本のスポーツ界に広く貢献し、また今でも貢献し続けている人だ。

彼の現役時代の驚異的なエピソードは尽きない。

2004年にアテネオリンピックで金メダル、2011年の世界選手権で金、2012年のロンドンオリンピックで38歳という年齢で銅メダルを取ったこと自体、信じられないことだ。

全日本大会では20連勝という驚異的な記録も持っている。

そんな彼は、彼自身が発見した独自の理論と独自のトレーニング方法でトップアスリートの期間を長い間維持してきたのだ。

彼が考えたのはある一定の時期を過ぎてしまうと、人間は物理的に衰えてしまう。筋力も落ちるし、体力も落ちる。ただ、もうひとつの要素である、ムーブメントはいくらでも鍛えることができる、と言う。

このムーブメントというのは、脳から正しい指令を体に伝える、ということだ。
いくら機能や外観がすぐれている車があったとしても、乗車するドライバーの能力が劣っていては、その車を速く走らせることができない。

それと同じように、肉体、筋肉を上手に動かせるような、正しい指令を体に送ることを鍛えれば、アスリートの能力をもっと伸ばすことができる、と言うのだ。

30歳を過ぎるとどんなアスリートも怪我をしやすい体になってしまうという。

そこで、彼が考えたのは、怪我をしないようにするために、反復運動だと体が思ってしまわないような練習方法だった。




どういうことか、というと、何かをする時、慣れない時には反復練習をして慣れるようにしていくのだが、しばらくするとそれは、何も考えなくてもできるようになる。

すると、最初は慎重に動いていたものが勝手に体が動くようになるのだが、身体が微妙にずれてしまったりすると、関節や骨を摩耗させてしまうような動きになってしまう。それが怪我の元となってしまうのだ。

だから、反復運動はさせず、頭を使っての運動に切り替えるのだ。

彼がその運動を独自開発した。ハンマーとエアロビクスを合わせた運動だ。これをハマロビクスと名付けた。

現在彼は、執筆活動をしたり、東京医科歯科大学の教授をしたり、後輩の指導をしたり。
最近では、100m走の桐生祥秀さんの体幹トレーニングを指導したりもしている。
そのおかげもあって、彼は日本で初めて10秒を切る、9.98秒という記録も出した。

日本オリンピック委員会の理事にも就任している

彼の現在は、第一線を退いた今、世界で活躍しているアスリートに対して、どうやって一番ベストな競技での場所を作ってあげられるか、が今の仕事だと思って日々活動している。

引退した時、「アスリートとしてやるべきことはやったと思っている」、と言っている。

42歳まで競技をできたことに感謝をしている。
自分はそんなに長く続けられると思わなかった。スポーツは保障があるわけではないので、長く続けられるとは思わなかった。

そして彼は、競技を通じて、ふたつのことを成し遂げたと思っている、と公言している。

まずひとつは、叶えられると思っていなかったが、世界選手権とオリンピックで2冠を取ったこと。

もうひとつは、長く競技を続けられたということ。自己管理、メンタルの持続。
これは頂点を極めることよりもっと難しい。
この二つを成し遂げられたことは、競技者としての完成だと思う

 

彼は20年以上もの間第一線で活躍した。一番の武器はなんといっても怪我や病気をしなかったということだ。
彼は、トレーニングのやり方やカラダのメンテナンスは年齢とともに変わってくるという。

ほとんどのアスリートはピークが20代である。
だから、20代のトレーニングのやり方やメンテナスが主流だ。
30代以上も続けるためには、その年齢に合わせたケアが必要だ。

そうしたトレーニングを経て38歳でも世界最年長での金メダルを取ることができたのだと思う。

ただ、勝因を振り返って、勝因のもうひとつの大きな理由に、2011年3月の東北大震災も大きなモチベーションだった、と語っている。

東北を訪ねた時、彼は次の世界大会で優勝し、金メダルを取るという約束をしたのだった。それが今自分にできる最大限の支援だった。

彼は言う。

金メダルを取るというモチベーションには、困っている人や危機的な状況にいる人たちに、何かできないか、笑顔を与えたり、勇気を与えたり、喜びを与えたり、生きるチカラを与えたい、という気持ちもあったことはことには違いない

さらに彼は続ける。

「モチベーションは単に記録や到達のためだけでなく、応援してくえる人のため、誰かを喜ばせたい、だけでない、もっと奥深いものがあると思った。」

「それは、スポーツだからできるのか・・・。スポーツをやってきてよかったと思った。」

室伏広治(むろふしこうじ)さんってこんな人

生年月日 1974年10月8日
出身 静岡県沼津市
学歴 愛知県豊田市立東保見小学校→豊田市立保見中学校→千葉県・成田高等学校→中京大学体育学部→同学大学院体育学研究科卒業 博士号取得

父親は中京大学の名誉教授で、ハンマーの前記録保持者である。

母親はやり投げのルーマニア代表だった。

幼少時からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験した。

小学3年から中学2年まではロサンゼルス近郊に滞在しており、ゴルフやテニスを習っていたという。
2年生以降は最終的に陸上競技部へ入部し三種競技B(砲丸投、走幅跳、400m)をやっていた。

高校からハンマー投げを行う。日本高校新記録・高校最高記録を樹立。1991年・1992年、インターハイ2連覇を達成。
2004年アテネオリンピックで2位をとったが、1位の選手がドーピング発覚でメダルはく奪。順位が繰り上がって、室伏選手が金メダルとなった。
2012年のロンドンオリンピックは銅メダル。
2016年6月に引退。

彼は自分が大学の時にスランプに陥いり、記録が伸びなかった時、色々な立場の人に聴いて回ったという。

たとえば水泳のコーチにスランプに陥いった時は足の裏で水を掴むことができているか、確認する、ということだった。体操の場合は、空中で空気を掴んでいるか確認する、と言われた。

その時彼はこう思ったのだった。「自分は地面を掴む感触は持っているんだろうか?」それまでは大きな感覚しか考えていなかったものがより繊細なところに神経を集中させる、ということを他の競技のトップから学んだのだった。

おそらく今後、ハンマー投げの世界では彼以上のアスリートは出てこないだろうと、多くの専門家が言っている。

引退してもなお、いや引退した今だからこそ、彼から学ぶことは多い。
アスリートの道を歩んでいる人は、彼が書いた二冊の本をまず読むことをお勧めする。

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