瀬戸内寂聴さんの心に正直に生きること

瀬戸内寂聴さん、

51歳で出家したお坊さんである。

彼女は若い時、夫以外の男性と不倫。また別の男性と不倫し、一緒に暮らした。そして一子をもうけるのだが、まだその子が言葉も言えない小さな時に、表向きは小説家になるために家を出て子供も捨てた。

けれども、ある時、その子が4歳になった時どうしても会いたくなってお寺の前の麦畑で待っていたという

女の子が出てきて、寂聴はその子を抱きしめる。
『お母さんは?』と聞くとその子はこう言う。
『ママは死んじゃった。』

どきっとした。
やっぱり自分の身を思った
このまま共倒れになってはイヤだ。

やっぱり小説家になりたかった。
それはやっぱり自分の欲だったと思う
それはひどいことだと思う。
寂聴さんの気持ちの中には、いつもこの罪の意識がにある。

罪は小節を描き続けることでしか償えない。だから彼女は、小説家にならなきゃいけなかったんんです、と言う。

胆のうがん患い3か月間入院を経験した。また2010年脊髄骨折を患い、3年間寝たきりの生活も味わった。
その時は痛さとの戦いだったと言う。

死んだら地獄がいいと思っていた寂聴さんは、病気後まったく変わった。

それまで、私は退屈が嫌いだから
死んだらまっすぐ地獄に行こうと思っていたの。
極楽は花が咲いて、同じ天気で何の苦労もない。
退屈じゃない?
でも地獄だったら今日は赤鬼が来るかな、青鬼が来るかなと。だから

死んだら地獄に行きたいと思っていたの。
でも地獄にいったら痛いでしょ。
だからまっすぐ極楽に行きたいと思ったの。

退院後、彼女は、新しい小説を発表した。題名は『いのち』である。
94歳での出版。
書くことがいやになったり、書けないと思ったことはないんですか?

 

私はないの

だってまだ、その、満足していないから

未来の自分に期待しているから。

寂聴さんにとって仏の道とは何だろう。出家とはどういう意味なのだろう。

仏の道とは
出家したということは
自由になるということ。
お坊さんは
食べるために殺しちゃいけないんだけれど
人がくれるものは食べてもかまわない。

‌自由があること
戒律はあるけど
心の芯は自由なの。

51歳で出家のわけは表向きは小説家になりたいから。

しかし本当の理由は違っていた。

40歳になろうとしていた時、夫の教え子だった不倫相手と暮らし始めた。

小説家として稼いだ金はすべて相手の懐に入っていき、相手はその金で新しい事業を行うが失敗

そして最終的には彼女を裏切り、裏切り会社の若い事務員と不倫した。
やがて彼女はノイローゼとなる。

寂聴さんはこう言う

「男との関係が
面倒臭くなったの。
表向きは文学のため
男との関係を絶つためには
出家しかなかった。」

友人の作家である今東光さんがその想いを受け止めてくれ、1973年に得度し、60日間の厳しい修行を経て1974年寂庵を開山した。

世の中は変わるの
人間は変わらないことがいいと思っているのね
でも変わるの

こういう世の中だなと思って
そして自分をしっかり持つしかないですね。

寂聴さんはこれからの生き方、後悔しない生き方についてこう言っている。

道徳っていうものはね、
その時の人間の一番政治的に強い者たちが決めたもの。

だから時代によってく変わるんです。

人が決めた道徳に忠実よりも、

自分の心に正直に生きたほうが後悔しない。

 

瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんってこんな人

俗名 春美
生年月日 1922年5月15日
出身 徳島県徳島市塀裏町(現・中州町)
学歴 徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)→
東京女子大学国語専攻部

お見合い結婚をするが、出産後夫の教え子と不倫する。3歳の子供を残して不倫相手と駆け落ちする。
東京に移住してから本格的に小説を書き始める。
しかし、同じ小説家仲間と不倫し、執筆活動を続ける。
不倫(三角関係)の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞した。

1988年『寂聴 般若心経』出版。43万部を売るベストセラーとなる。1992年、一遍上人を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞を受賞。


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