中村獅童さんのやり続ける心の言葉

中村獅童さんは壮絶な人生を歩んでいる人だ。

獅童さんは名門の歌舞伎役者の息子として生まれた。しかし父親が歌舞伎がイヤで、獅童さんがまだ小さい時に歌舞伎を演じることをやめてしまったのだ。

歌舞伎の世界では指導者としての父親の後ろ盾がないと、大成することは非常に難しい。歌舞伎界は世襲の世界だからだ。

獅童さんは、父親は歌舞伎役者ではなくなっているのにもかかわらず、小さい時から歌舞伎役者になりたいとずっと思っていた。

でも、父親のいない役者では歌舞伎の世界で生きていくことは困難。

そして実際に数々の困難に出会いながらも、最初に中村勘三郎さんに見込まれるのである。

彼は偉大な役者になる。と勘三郎さんが周りの人に言った時、まだ彼はまったく無名だった。そして大した役ももらえていなかった。

なぜ様々な困難の中、父親がいなければ歌舞伎の世界で生きてはいけない、といわれながら耐え続けやり続けたのだろうか。

自分の過去を振り返り、彼はこう言った。

バカと言われようが、ダメだと言われようが、バカを貫き通したんだろうね。

やはり歌舞伎を愛していたのだ。そしてどうしてもそれを続けたかったから、周りからあいつはバカだ、と言われても続けられたのだ、と言う。

そしてやり続けられたからこそ、彼は大成したのだと思う。

彼はその後さらに数々の困難を経験する。

後ろ盾になってくれた母親が、彼が座長として演じることが決まった直後に急死。その後自身の脳動脈瘤で手術。そのあとにさらに肺腺癌が見つかり手術。

病気が治って彼が思っているのは、いつも皆に助けてもらっている。一人じゃ何もできない、ということだ。

これからも彼は大好きな歌舞伎を演じることを続けていくのだろう。
周りから生かされていることを感じながら。

中村獅童さんってこんな人

生年月日 1972年9月14日
本名 小川幹弘
出身 東京都
学歴 明星学園高校→日本大学芸術学部演劇学科中退

映画「ピンポン」のドラゴン役で新人賞5冠を達成。これをきっかけに中村獅童の名前が世に広まる。また様々な映画やドラマに出演し始める。

2003年、歌舞伎で初の主演(毛抜)

2008年に女優の竹内結子さんと離婚(長男の親権は竹内さん)、2011年一般女性と再婚し、2017年12月に男児誕生。子供の名前は陽喜(ひろき)と名付けた。母親の陽子から一字、父親の三喜雄から一字を取ったものだった。これは奥さんの発案だそう。

獅童さんが赤ちゃんの時、角材が頭に落ちてきたのを、すんでのところでお地蔵さんの頭にあたったため、獅童さんが大事故を免れた、というエピソードがある。

そのため、その日以来、その小さなお地蔵さんをお母さんは身代わり不動として、お庭に大切に置き、毎日そのお地蔵さんの頭に水をかけるようになった。
お母さんが亡くなってからは、奥さんが毎日水を上げているそうですがある時、頭に二つ穴があいているのに気が付いた。その後彼は頭を手術し、二か所穴をあけることになったのだ。

また、その後ふと気が付くと、肺のところにも小さな穴が見つかった。その時ちょうど獅童さんは肺腺癌で肺に穴をあける手術をしていた。
なんとも不思議なお話だ。

奥さんの沙織さんは、やはりこれは獅童さんの身代わり地蔵に違いない、と思って毎日水を上げている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です