鈴木敏夫さんの、人を巻き込むチカラ

鈴木敏夫さんは、スタジオジブリの代表取締役プロデューサーである。仕事は、映画製作にかかわるすべての人を動かして、すべての責任を負う総指揮者である。

プレッシャーは相当なものだろう。

しかし、彼は常に明るく、まるで遊んでいるかのように仕事をする。それが彼のモットーでもある。

彼は、車で会社へ向かう。同じ道を通らず、色々な道を探しながら会社へ向かう。

なぜそうするのか?
「時々迷うこともあるんです。」

なんんでそうするんですか?

「だって楽しいことっていっぱいあったほうがいいじゃないですか。」

と答えるような人である。

彼が仕事をする上で、いつも思っているのはこういうことだ。

自分は信じない。人を信じる。

ひとりの力なんてたかがしれているでしょ?

だけど一人が加わるだけで1+1が2じゃなくて3にも4にもなる。
時には10になることだってあるでしょ。

壁にぶつかった時は、必ず周囲の人間に解決策を求めるのだ。

でも色々な人の意見を聞きすぎてわからなくなってまた迷うことはなのだろうか?

それはコツがあるんです。
自分が最初に思いついたたことを紙に書いておくんです。
そしてしまっておくんです。

そしていろいろな人に聴く。
そしたらわからなくなるでしょ。もう一回これ(紙)を出すんですよ。

あ、これだったって答えが出ますから

だからといってこれをやろう、じゃないんです。
自分のやろうとしたことを別な言い方で言うとこれなんだな、ということが見えてくるんです。

 

時々鈴木氏のところに、部課長から、トラブルを起こす部下がいて、その人を辞めさせたいのだが、という相談を受けることがあるとう。

そんな時彼はこうアドバイスする。

「辞めさせた後、どうするの?その人が問題児だとしても、そのひとが辞めて新しい人が入ってきたとしたら、またその人が問題児になるよ。問題だっていっている状態がいいじゃない。
その人を排除したら次の誰かが他の何かでレッテルを張られる。
だからその人が必要なんですよ。」

 

宮崎監督にはまだ彼が雑誌の編集をしている時に出会った。そしてそこから、映画の歴史を変える快進撃が始まったのだった。

 

 

 

 

 

時代性があれば
映画は持つ
作りはひどくても。という。

 

時代をどのように彼は掴んでいるのだろうか。

若い人に起きていることは
お爺さんたちにも世界にも起きている
だから若い人に起きていることがわかれば
今こういうことを考えてるってことがわかればみんなに通じると思っている

世間で起きていることはジブリにも起きている
ジブリで起きていることは世間でも起きているのだ

そこで見ていれば何が起きているかがわかるのだ。

彼は宮崎駿監督とずいぶん長い間一緒に仕事をしている。

ただ、彼はビジネスをしていく上でこう話している。

一緒に仕事をする人との相性は非常に重要と思う。

この人と一緒に仕事をしたら、自分も幸せな人生が送れるんじゃないかと思えるかどうか。

またその幸せとは、自分が無理をしなくても楽に仕事ができるということです。

だから仕事をする仲間との相性が非常に大事だと思いますね。
会社じゃないですよ。
働く人間に誰を選ぶかです

宮崎監督との長いパートナーシップの中で、いがみ合いや気まずくなったこともあったそうだ。もうこれでおしまいかな、ということもあった。

でも今でもビジネスパートナーとして一緒にやっているということは、やはり根底に、この人と一緒に仕事がしたい、この人と仕事をすることで自分も幸せになれる、という確信があってのことだろう。

すでに彼は70歳に手が届く。それでもまだ第一線で活躍してるビジネスマンだ。
スタジオジブリと、その仲間たちと一緒に仕事をすることが好きで好きでたまらないのだと思う。

鈴木敏夫(すずきとしお)さんってこんな人

生年月日 1948年8月19日
出身 愛知県名古屋市
学歴 私立東海高校→慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻

大学卒業後、徳間書店入社。『週刊アサヒ芸能』企画部へ配属されるが、同じ部署で、月刊アニメージュを創刊。その編集者として業務を行う。宮崎駿監督のことを特集した時に、初めて宮崎氏に会う。

1982年に宮崎執筆の漫画『風の谷のナウシカ』連載開始に尽力する。1989年10月にスタジオジブリへ移籍、同スタジオ全作品の映画プロデューサーをしている。

 

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