新田佳浩さんの目標達成の原動力

新田佳浩さんのことは、平昌パラリンピックのノルディックスキー競技で初めて知った。
彼は2018年のパラリンピックで、2つの競技に参加し、銀メダルと金メダルを取った人だ。

さたにその前の前のパラリンピックでも金メダルと取っている。

彼は幼少のころ、祖父の運転する車による事故で左腕を失ってしまった。
祖父も本人も、ずっと辛い時期を過ごしたのだと思う。

彼は祖父のことを恨んではいにし、大好きなおじいちゃん、と言っていた。おじいちゃんのために金メダルを取りたいと望んだ2012年のパラリンピックでは見事に金メダルを取った。
しかしその2年後おじいちゃんは亡くなった。

以前まではおじいちゃんのために、という想いがあったのだが、2014年のソチパラリンピックではその想いはなかった。
目的がなく、迷いもあったという。そんな中で臨んだ競技は残念ながら4位で終わり、メダル獲得はできなかった。

その時、彼の帰国を空港で待ってくれていた子供達が、父である彼を見つけて抱き着き、紙で作ったメダルを首からかけてくれた。
何よりも嬉しいサプライズだった。

その時、応援してくれている子供達のために本物の金メダルを見せてあげたい。という気持ちが湧いてきた。それまでは引退も考えていたと言う。

しかし、この時はっきりと彼は金メダルを目指す意義を見つけ、それを目指して4年間がんばろう、という決断を下す。

メダル獲得のために、わずか4年間がんばればいいんだ、という気持ちだった。

金メダル獲得後、彼はこのように話している。

4年間よく頑張ったと思います。

非常に苦しく、自分自身逃げてしまいそうになりましたけど、いろんな人にぼくは支えられている。その人たちのために、自分自身のために、最後は頑張りました。

37歳というのはまだまだ若い、まだできる、やれることもやりたいこともいっぱいあります。エネルギッシュな力さえあれば、何とかなると感じました。

金メダルを獲得したからこそ、彼はメダルを取る意義をこのように話しているのである。

チーム新田、と言う言葉も口にしていた。
メダルを獲得できたのは自分一人の力ではなく、チームで獲得したんだという想いが強かった。

そして、メダル獲得後、一度は4位と沈み、引退も考えた彼が再び立ち上がって37歳で再度金メダルと銀メダルを獲得した彼だからこそ、まだまだ頑張れる、という想いが大きいのだろう。

彼の原動力となっているのは、チームで戦っているという気持ちと、子供達へ金メダルをどうしても見せたい、という熱い想いだった。

新田佳浩(にったよしひろ)さんってこんな人

生年月日
1980年6月8日
出身 岡山県西栗倉村
学歴 岡山県立林野高等学校→筑波大学体育専門学校
所属 日立ソリューションズ

3歳の時に祖父の運転する農業用の機械に左腕を巻き込まれ、切断する大事故に見舞われた。

スキーは4歳から始めた。
小学校3年生からクロスカントリーをはじめる。中学生で全国大会出場。その時新井秀樹監督に見いだされパラリンピックを目指すようになる。

2003年世界選手権ドイツ大会でクロスカントリースキー10kmで金メダルを獲得。
2006年トリノパラリンピック
2007年ワールドカップカナダ大会、クロスカントリースキーで優勝
2008年ワールドカップクロスカントリースキーで世界総合3位
2010年バンクーバーパラリンピック、暗いかる10km,スプリント1kmで金メダル
2012年ワールドカップ前理香大会 クロスカントリー^スキーロング優勝
2018年平昌パラリンピック クロスカントリースキークラシカルスプリント立位銀メダル、クロスカントリースキー10kmクラシカル立位金メダル

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